飲み会で上司が「今日は無礼講だからね!」と宣言することがあるかもしれませんね。
「無礼講」とはどんな意味を持っていると思いますか?
一般的には「上司に対しても失礼なことを言っても許される」と思われがちですが、その真意はどうでしょうか?
この記事では「無礼講」の本当の意味について説明します。
無礼講の意味は?
「無礼講(ぶれいこう)」とは、身分や階級に関わらず自由に楽しむことを指す言葉です。
日本の古代神事で、神に供えられた酒を儀式的に飲む「礼講(れいこう)」という行事がありました。
ここで使われる「講」は集まりや儀式を意味します。
礼講が終わると、公式の束縛から解放された自由な飲み会、すなわち「無礼講」が始まり、出席者は階級を問わずに酒を楽しむことが許されました。
これが無礼講の語源です。
無礼講の起源は?
「無礼講」の明確な起源は特定されていませんが、「太平記」には後醍醐天皇が無礼講を行ったという記述があります。
平安時代後期から、社会は厳格な礼儀と身分制度に縛られていました。
この中で、後醍醐天皇は身分の壁を越えて密謀を進め、その過程で公然と宴会が行われました。
参加者は身分を示す服装を脱ぎ捨て、自由に振る舞いました。
このような異例の事態が、「無礼講」という言葉の普及に繋がり、身分や常識を超えた交流の象徴として知られるようになりました。
飲み会での「無礼講」の正しい対応は?
飲み会で「今日は無礼講だ!」と上司が宣言することがあります。
この発言を誤解し、無礼な行動をとってしまいキャリアに影響が出ることもあります。
しかし、この「無礼講」という言葉、実はよく誤解されています。
上司が「無礼講」と言ったとき、それは「階層や役職に囚われずに、楽しもう」という意味です。
決して無礼が許されるわけではありません。
無礼講は、堅苦しさを取り除き、リラックスして楽しむことが本来の目的です。
「普段は形式に縛られているが、今日だけはそれを忘れて楽しもう」というのが無礼講の適切な使い方です。
この理由から、通常、部下や後輩がこの言葉を使うことはありません。
「無礼講」の類語
無礼講と似た表現には次のような言葉があります。
「羽目を外す」
「はしゃぐ」
「おちゃらける」
これらの表現も同様に、雰囲気を和らげるために用いられることがありますが、無礼講と同じく、行き過ぎた行動を許すものではありません。
まとめ
無礼講が「無礼が許される」と誤解されることが多いですが、その本質は異なります。
「無礼」と「構わない」の漢字が異なることからも、無礼を働くことは正当化されません。
上司が「無礼講」と宣言しても、それはただ単に役職や地位を一時忘れて楽しむためのものです。
礼儀やマナーを守りながら、和やかに交流を楽しむことが求められています。